1.はじめに改正後の中国特許審査基準が2017年4月1日から施行されました。今回の改正において、特に、化学分野の実験データの補足提出に関して様々な解釈がなされています。この審査原則は今回の改正によって変化したのでしょうか。実務にはどのように影響するのでしょうか。中国審査官は補足提出された実験データの審査を数年前からすでに開始しており、今回は、審査基準の規定と実際の審査原則とを統一するために、審査基準が改正されました。
以下、具体的な実例により、実験データ補足提出に関する審査実務を検討したいと思います。 2.実験データ補足提出に関する審査実務【「実験データ補足提出」部分の改正前後対比表】
改正前:実施可能要件は出願当初の明細書と請求の範囲の記載に基づいて判断し、出願日以降に補足提出された実施例や実験データは考慮しないものとされていました。
改正後:判断の基準は引き続き出願当初の明細書と請求の範囲の記載です。審査官は出願日以降に補足提出された実験データを審査しなければなりません。ただし、当該データが証明する技術的効果は、当業者が出願の公開内容から得られるものでなければなりません。
「実験データ補足提出」の関連規定は審査基準の「明細書の実施可能要件の判断」の部分に記載されていますが、実務では、出願日以降に補足提出される実験データについて、出願人は拒絶理由(とりわけ進歩性の拒絶)への応答を行う際に補足提出する場合が多くみられます。
審査実務に基づけば、改正審査基準の前記規定における「特許出願の公開内容から得られる」技術的効果は、たとえば下記3つのような場合が考えられます。
(1) 本願明細書には、補足実験データによって証明される技術的効果が明確に記載されており、相応の実験データも示されている。
この場合、本願発明の技術的効果が引用文献より明らかに優れていると証明するために、出願人は引用文献により対比用実験データを補足提出することがあります。通常、補足された対比用実験データによって証明される前記技術的効果は、特許出願の公開内容から得られるものであると認められます。
●<実例1> 審決番号:85462号審決日:2015年1月22日
本件(出願番号:CN200980118768.6)は、発明の名称を「癌の処置のための方法および組成物」とするものである。本件請求項1に係る発明は1mg/日~25mg/日の範囲のメタ亜ヒ酸ナトリウムを含む第1の組成物、ならびに3~100mg/m2のシスプラチンを含む第2の組成物を含む、癌の処置のためのキットに関する。
引用文献1に係る発明は三酸化ヒ素を使用する癌の治療方法に関する。引用文献1に、三酸化ヒ素を他の治療剤と組み合わせて使用する固形腫瘍を治療するための方法が開示されている。前記治療剤はシスプラチンを含み、前記固形腫瘍は肺癌を指す。
引用文献2に係る発明は悪性腫瘍の処置のためのメタ亜ヒ酸の塩を含む薬学的組成物に関する。引用文献2に、この組成物が固体悪性腫瘍の処置のための組成物であることが開示されている。
審判請求人は、メタ亜ヒ酸ナトリウムおよびシスプラチンの組み合わせを使用して肺癌の処置で相乗効果が得られるように、意見書において体内実験データおよび体外研究結果を提示するとともに、SujiongKim博士の声明およびその研究結果を添付した。審判請求人は、H292肺癌細胞およびPC14E6腺癌細胞に対してメタ亜ヒ酸ナトリウムと、シスプラチンと、メタ亜ヒ酸ナトリウムおよびシスプラチンとの治療比較を行った。
審判請求人によって補足提出された体内・体外の実験データについて、審判部の見解は次の通りである。
本願明細書に体外の相乗効果に関するデータが記載されている。この補足実験データによって証明される技術的効果は体内および体外が共に相乗効果を有することである。よって、補足実験データを認めることができ、進歩性を引き続き審理する。
なお、この後の審理において審判部は、補足実験データによって証明される相乗効果が引用文献1に開示されていると判断しました。本願請求項1および引用文献1の相違点が実質的に三酸化ヒ素とメタ亜ヒ酸ナトリウムとの相違のみであり、一方、引用文献2にメタ亜ヒ酸ナトリウムを使用して悪性腫瘍を処置することが示唆されています。最後に、審判部は拒絶査定維持の審決を下しました。
本件について、出願人は三酸化ヒ素とメタ亜ヒ酸ナトリウムが技術的効果では根本的な差を有することを証明して、当業者が三酸化ヒ素からメタ亜ヒ酸ナトリウムを容易に思いつくことができないといえるような実験データを提供できれば、進歩性の主張に有利になるかもしれません。
(2) 補足実験データによって証明される技術的効果は、本願明細書に記載されていないが、当業者が従来技術に基づいて確認できるものである。
該技術的効果が実験検証をする必要がなく、従来技術に関連して公知の効果であるような場合には、明細書に相応の実験の記載がなく、技術的効果のみが記載されてもよく、あるいは技術的効果の関連記載がなくても構いません。実験検証が必要ではないため、この場合、補足実験データは、通常、出願当初の明細書にその関連記載がないことを理由として審査官に認められないことにはなりません。
●<実例2> 審決番号:78652号審決日:2014年11月25日
本件(出願番号:CN201010606129.9)は、発明の名称を「揮発性直鎖アルカン及びカチオン性界面活性剤を含む化粧料組成物」とするものである。本件請求項1に係る発明は、2.5wt%-10wt%の1種又はそれ以上の揮発性直鎖アルカンと1種又はそれ以上のカチオン性界面活性剤とを含み、該揮発性直鎖アルカンの量の該カチオン性界面活性剤の量に対する質量比が、0.5-1.2の範囲であることを特徴とする化粧料組成物に関する。
本願請求項1および引用文献1の相違点は、該揮発性直鎖アルカンの量の該カチオン性界面活性剤の量に対する質量比が異なり、引用文献1では1.4であり、本願発明では0.5-1.2である。
進歩性を証明するように、出願人は比較テストの実験データを補足提出した。比較テストの実験データにより、本願発明の組成物は引用文献に係る発明と比べてより優れた柔軟性を有することが示されている。
それに対して、審判部は以下の理由で補足実験データを認めた。
補足された比較テストの実験データに証明された柔軟性効果は、カチオン性界面活性剤の含有量の相違によるものである。本願明細書には組成物の柔軟性をテストするための実験が全く記載されていないが、カチオン性界面活性剤がコンディションの柔軟性に影響を及ぼすのは当業者にとって予想できるものである。よって、審判部は補足実験データを認めた。
しかしながら、この柔軟性効果は当業者にとって予想できるものであるため、補足提出された比較テストの実験データでは本件発明が予想外の技術的効果を有することを証明できず、最終的に、審判部は本件発明の進歩性を認めませんでした。
本件のように、補足実験データの提出が審判官に認められても、その技術的効果が従来技術に基づいて確認できるため、予想外の技術的効果ではないと認定される恐れがあります。そのような場合、補足実験データは進歩性の主張に実質的に役立つことができないことになります。
(3) 補足実験データによって証明される技術的効果は、実験の証明によってこそ成立できるものである。
本願明細書には該技術的効果が記載されておらず、かつ、当業者にとって従来技術に基づいても得られない技術的効果であり、または、該効果が本願明細書に記載されているが、該効果に対する実験・検証が記載されていないような場合です。
実験で証明しないと成立できない技術的効果であるので、この効果が本願明細書に十分に開示されていないと審査官に認められるおそれがあり、本願明細書にその効果が記載されていても、補足実験データは審査官に認められないおそれもあります。 ●<実例3> 事件番号:(2016)最高法行申1878号裁定日:2016年9月27日
本件(出願番号:200580023071.2)は、発明の名称を「1,2-ジヒドロピリジン-2-オン化合物の製造方法」とするものである。
本件請求項1に係る発明は以下の内容を含む。
式(I)で表される化合物またはその塩と式(II)で表される化合物とを、パラジウム化合物、銅化合物、リン化合物および塩基の存在下反応させることを含み、 ……銅化合物は式(I)で表される化合物に対して0.001~0.2倍モルの量を用いており、パラジウム化合物は酢酸パラジウム、塩化パラジウムまたは水酸化パラジウムであり、銅化合物は臭化第一銅、沃化第一銅、塩化第一銅または酢酸第一銅である、式 (III)で表される化合物またはその塩の製造方法
引用文献1と本願請求項1との相違点は以下の通りである。
本願請求項1の方法には銅化合物が添加されており、該銅化合物の種類および使用量が限定されているが、引用文献1の反応には銅化合物が添加されていない。
本願請求項1の式(II)に係る化合物は引用文献1と比べてもっと具体的な構成を有するアリール基またはヘテロアリール基ボロン酸誘導体である。
また、引用文献2に、このような反応において銅化合物および第一銅化合物を共触媒として使用するのが示唆されている。
本件発明の出願人は、従来技術に比べて、本件発明の反応速度が速く、副産物が少ないとの効果を証明するように、出願日以降に実験データを補足提出した。
最高裁はこの補足実験データを認めず、その理由は下記の通りである。
反応速度が速いという技術的効果が本願明細書に記載されていない。さらに、反応速度の速さは生産性の高さと必然的な関係がない。本願明細書には高い生産性のみが記載されており、この高い生産性から、反応速度が速いという技術的効果を推定できない。
上記からわかるように、実験・検証によってこそ決定される技術的効果について、明細書にこの効果の記載があってもなくても、審査時に明細書の実際の開示内容がやはり考慮されます。
出願当初の明細書には相応の効果が記載されておらず、または、記載された効果との関連性が欠如するのであれば、一般的に、実験データを補足することによりその予想外の技術的効果を証明することは困難です。
本件について、仮に、明細書作成段階に反応速度データの記載が含まれていれば、審理の結果が出願人に有利になったかもしれません。 3.まとめ本願発明がある技術的効果を有することを証明するための出願人による実験データの補足提出は、当業者が特許出願の公開内容から得られる技術的効果への補強である場合しか認められません。本願明細書に記載されておらず、かつ、当業者が従来技術に基づいても理解できない技術的効果に対しては、実験データを補足しても、認められないことになります。
改正審査基準の前記規定により、出願人が実験データを勝手に補足して過大な権利範囲を得ることによる公衆利益の損失が避けられることとなりました。



